この記事では、哲学者である加藤諦三さんの著書「自分の構造 逃げの心理と言いわけの論理」を紐解くことで
人生が虚しいと感じる原因をご紹介します。
また別の記事では、人生が虚しく感じる際の対応策をご紹介していますので、そちらもご覧になっていただけたらと思います。
本書はもともと1980年に出版された本ですが、出版元である大和書房の創業60周年を記念して、2021年10月15日に装い新たに復刻されました。
初版から30年以上が経過していますが、いつの世も真理は色あせることはありません。
このことを改めて感じさせてくれる名著でしたので、ここに紹介したいと思います。
さて、自分の存在に対する虚無感は誰しも一度抱いたことがあるでしょう。
「自分の価値ってなんだろう」
「不幸なわけじゃないけど、なんとなく虚しい」
私もそう考えたことは一度や二度ではありません。
この問題は、ある人にとっては何よりも大きな問題になって思いつめたり、またある人にとっては大した問題にならなかったりします。
あまりに思いつめてしまったあまり、精神が病んでしまう人がいることは想像に難くありません。
そうならないように、また、なったとしても抜け出せるようなヒントが本書にはちりばめられています。
・人生が虚しいと感じる方
・ありのままの自分がわからない方
・自分のことが好きじゃない方
人生が虚しい原因①:自立した生き方ができない精神基盤

ここでいう「自立できていない精神基盤」とは、自分の存在を自分のみで規定できないような状態のことをいいます。
つまり、他者に依存している状態を指します。
ここでは、精神基盤が脆弱になる原因について触れます。
・親離れ(子離れ)できていない
自分をより大きく見せようとする、いわば「理想の自我像」は親の影響をつよく受けて形成されます。
小さいころは、その理想の自我像を実現することで褒められ、親に受け入れてもらえます。
子どもにとって、親は世界すべてに値します。
そのため、世界(=親)に受け入れられるために、親に受け入れられる理想の自我像を実現しようとするのです。
しかし、理想像と現実とのギャップは、大きくなる人がほとんど(理想通りの自分になれる人はそうそういない)でしょう。
理想と現実の自分とのギャップにより、自分を無価値に感じてしまいます。
この傾向は親への心理的依存度が高い、つまり心理的な親離れができていないほど、より強く影響します。
これは子どもだけの問題ではなく、子どもを育てる親の問題でもあります。
むしろ、この自己不振への第一歩は、情緒的に未成熟な親によってもたらされることが最大の原因といえます。
自己が確立していない親は、内発的な感情を持っていません。
「自分はこれがしたい!」、という意思を持っていない親は、子どもに何かしてやり、感謝してもらうことで自分の存在を確認しようとするのです。
このような親を持った子供はたまりません。
自分の言動、行動、態度が、親の自己確認のための手段になってしまうのですから。
こうなると、子どもの中に自然な感情が生まれることはなく、すべて親の機嫌を取るのに都合のいいものばかりが生まれてしまいます。
精神的な親離れと、子離れが自立した精神基盤をつくります。
・虚栄心に追い込まれている
虚栄心とは、魅力的にみられるために自分を実際以上に見せようとする心理です。
これは誰しもが一度は経験があるでしょう。
- 本当は細かいことが気になるけど、気にならないフリをする
- 実際は頭が良いわけではないけど、頭が良いフリをする
- 本当は知らないけど、知っているフリをする
自分自身を偽るということは、実際の自分に価値を見いだせていないことに起因します。
つまり、心の底では理想と違う自分を無価値化しているのです。
自分自身を偽る人は、こうして生まれた不満を吐き出すことができません。
自分と他人に、自分は価値がないことを認めてしまう(認められてしまう)からです。
結果的に、不満と虚無感は募るばかり。
こうして虚栄心に追い込まれている人は、いつも不機嫌な態度をとります。
そうならないためには、自分の価値を他人に認めてもらうのではなく、自分で認めることが重要です。
自分で自分を認める根拠をもつと、他人の些細な行動や言動に無頓着でいられます。
無頓着でいられると、他人との間に一定の距離ができ、自分の立場を作ることができます。
そして自分の存在の実感が確実になり、他人に依存しない精神的基盤が確立するのです。
人生が虚しい原因②:自分を嫌いになる行動をとっている

人生が虚しいと感じるもう一つの原因として、自分を嫌いになる行動をとっていることが挙げられます。
その具体的な行動3つをご紹介したいと思います。
・物事を深刻に考えすぎる
人生に虚しさを感じる人には神経質な人が多く、えてして人生を難しく難しくして「生きにくく」し、ノイローゼになりがちです。
逆に、生きやすい人というのは、生きることを易しく易しくしようとします。
こういうことをいうと、「人生は困難の連続なので忍耐は必要だ」という批判もあるとおもいます。
それはそのとおりであり、努力や忍耐を否定しているわけではありません。
要は、力を抜くところでは力を抜き、力を入れるところでは力を入れるメリハリが必要だということです。
神経質な人は、考え方の変更や理屈で問題を解決しようとします。
そうすることでありのまま、自然体でいるために、自然体でいようとします。
しかし、「自然体でいようとすること」はもはや自然体ではありません。
ではどうすれば良いか、それは次でご紹介します。
・行動しない
先に述べたように、物事を深刻に考える神経質な人、ノイローゼな人は、基本的な生きる態度を変えずに、考え方の変更だけで問題の解決を図ろうとします。
しかし、考え方を変えることだけで問題を根本的に解決することはできません。
悩みがない自然な状態でいるためには、自分の考え方の不自然さに気づき、より生きやすい考え方に変更し、
それを現実の行動に移していくことではじめて、問題も根本的に解消されます。
具体的な行動の変化としては些細なことで大丈夫です。
- ジョギングを始める
- 図書館で本を読む
- 部屋を掃除する
- 日記をつける
- 休日はとにかく外に出かける
などなんでもいいのです。
とにかく空いた時間を費やして、なるべく行動する時間を多くしてみましょう。
これまでの生活でやっていなかったことを行うと、自分を尊敬する気持ちが生まれます。
自分を尊敬する気持ちが生まれると、また行動が変わります。
生活を具体的に変えることと、自分を尊敬する気持ちは相互に刺激しあい、相乗効果をもたらします。
・決めつけ思考をする
神経質な人は現実をあるがままに受け入れられないで、自分にとって都合のいい現実だけを望むからノイローゼになってしまうのです。
現実は良いも悪いもなく、ただ現実です。
友人の家庭がお金持ちであることや、頭が良いことも現実であるならば仕方がないことです。
そしてこれらのことは自分とは関係のないことです。
ノイローゼになりやすい人の特徴は自分に関係のないことと割り切れず、しかしその現実も受け入れられず、他人の影響にがんじがらめになってしまうのです。
だからといって自分自身が変化することを拒否するため、それが裏返されて何事も決めてかかろうとするのです。
- あの人はそういう人だから
- 世の中ってこういうものだから
- 自分にはできやしないから
とかく決めつけて行動しないことは、とても楽です。
そして自分が変わることを覚悟することは痛みを伴います。
しかし、自分が変わることを拒否する人間は、世の中の解釈についても形式的で柔軟さを欠きます。
その結果として、いつも自分で自分に失望しているのです。
何事も決めてかかるのではなく、現実はそのまま受け入れて、希望に沿った行動を起こしましょう。
おわりに

いかがだったでしょうか。
ここまでずっと虚無感の原因ばかりを扱いましたが、次の記事ではその打開策を紹介しています。
ぜひそちらも読んでみてください。
私自身はと言うと、この本を読んだ際に、過去の自分が陥っていた虚無感の正体に気づきました。
現実の解釈をゆがめて、ただただ他者と比較をし、自分で自分を陥れていたんだと気づきました。
と同時に「こういう心象ってだれでもおちいるよな~」とも思います。
これだけSNSが影響を及ぼしている現代は、より他者と比較してしまいやすい環境にいるといえます。
この環境の中で強固な精神的基盤を、自らの意志で築くことは至難の業です。
自ら強固な精神的基盤を築くきっかけとして、本書が有効であることは間違いありません。
とくに精神が熟しはじめる10代~20代、またその年代が家族にいる方に勧めたい一冊です。
ぜひ手に取ってみてください。
長文にもかかわらず、最後まで読んでいただきありがとうございました!
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