今回は最果タヒさんの詩集「夜空はいつでも最高密度の青色だ」を紹介したいと思います。
変わったお名前をしてらっしゃいますが、本人曰く、特に意味はないそうです。
一部の人から「死」を「タヒ」と崩して表現するネットスラングに見えると指摘があったそうですが、
名前を考えた頃、そのようなネットスラングはまだ存在しておらず、本人も気づかなかったと説明しています。
・世界の見方を変えたい方
・想像力が豊かな方
・現代を生きる人が書いた詩に触れたい方
世界の見方

私達の眼は前側に二個ついています。
脳から視神経が伸びたその先に複雑な構造体。
そのような眼から私たちは情報を受け取っていますが、180度近い視野に対して、真にピントが合っているのは僅かです。
中には「盲点」なんてものもあるため、視野の中には絶対に見えない領域が常にあることになります。
最果タヒさんの詩を読んで、まるでカメラで撮った写真のようだと感じました。
視野に広がる風景のいたるところまでピントが合っている。
盲点なんてものも存在しない。
写真なので、隅々まで観察することができる。
写真も肉眼も、眼という感覚器官から情報を得ている事には変わりないのに。
世界を切り取る感覚の鋭さに、ただ満たされるだけです。
最果タヒさんの眼はシャッター機能でもついているのでしょうか。
表題にもなった一節をご紹介します。
青色の詩
(「夜空はいつでも最高密度の青色だ」最果タヒ(リトルモア)より引用)
都会を好きになった瞬間、自殺したようなものだよ。
塗った爪の色を、きみの体の内側に探したってみつかりやしない。
夜空はいつでも最高密度の青色だ。
きみがかわいそうだと思っているきみ自身を、誰も愛さない間、
きみはきっと世界を嫌いでいい。
そしてだからこそ、この星に、恋愛なんてものはない。
なお、この詩集の結びの一節は「黒色の詩」です。
そこに何が書かれているかは、本書を手に取って確認してみてください。
>>あわせて読んでほしい
【友達が少ない方に】「わたしの全てのわたしたち」サラ・クロッサン