今回は1947年の初版から世界で600万部以上の読者に読み継がれている世界的なロングセラー、「夜と霧」を紹介します。
本書は精神科医であり、心理学者でもある著者が第二次世界大戦時に強制収容所に収容させられた際の体験をつづったものです。
第二次世界大戦当時ナチス・ドイツを主導していたヒトラーは、正当な理由もなく、ユダヤ人を迫害しました。いわゆるホロコーストです。
その犠牲者は記録が残っていないため正確な数字はわからないのですが、500万人以上といわれています。
とんでもない数です。
著者のフランクルはまさにユダヤ人であったため、ただそれだけの理由で強制収容所に収監されました。
そこで行われる命の選択。
物のような扱いを受け続けることによる感情の消滅と精神の鈍麻。
本来、あまりにも悲痛な経験をした当事者は、その経験を語りません。
語ったところで他者が共感することはできませんし、そもそも、言葉に表現することができないと思うのです。
しかしながら、強制収容所から生還したフランクルは、戦後まもなくこの本を出版しました。
精神科医が描く魂と精神の移ろい。
おなじ人間によっていつでも死をもたらされる状況にあり続ける人間が、それでも生き続けようとする姿に、感動を覚えずにはいられませんでした。
人生の本棚に収める名作です。
・絶望に直面した人間がどうなるのか知りたい方
・生きる本質を知りたい方
・気持ちが沈んでいる方
☑あの時、わたしは物だった。

強制収容所では人権が認められません。
その人がどんな人かや、どんな仕事をしていたかに意味はなく、ただその胸についている収容者番号にだけ、意味がありました。
収容者は人ではなく、番号を付けた動く有機物だったのです。
収監時に第一の命の選択があります。
被収容者は全裸になり監視兵のまえを歩きます。
そしてある者は右に、またある者は左に行くように言われます。
片方はシャワーを浴びせられてそのまま収監されますが、もう片方は名目はシャワーを浴びろといわれますが、実際はガス室に入り、全員まとめて毒ガスを浴びせられて殺されます。
収容所に収監される時点ですでに命の選択は行われ、またその後もずっと選択される立場にあり続けます。
この「収監され、死と隣り合わせにいる」という事実に対して受けるショックが、被収容者の精神が移ろいゆく第一段階です。
そして被収容者の移ろいゆく精神第二段階が、感情の消滅と鈍麻、内面の冷淡さと無関心です。
こうなると、毎日殴られ続けること、人として正当に扱われなくなることについて、何も感じなくなります。
そうしないと、心を保てなくなるのです。
一種の防衛反応として、自分が受ける感情や、他者が受けている仕打ちに対しても関心が無くなるのです。
被収容者は収容所生活の中でぜいたくな食事にありつけることはありません。
水のようなスープとひとかけらのパンしか与えられず、重労働を強いられます。
労働の報酬としてたばこが与えられることがありますが、それはそのまま吸ってしまうのではなく、パンなどの食料と交換することができます。
なので、収容所の中でたばこは、命を永らえる可能性を上げるものになるわけです。
しかし被収容者の中には、たばこだけでなく、アルコールといった嗜好品までふんだんに与えられる被収容者がいます。それが、
- 被収容者を監視する被収容者
- ガス室のスイッチを押す被収容者
です。
なんともむごたらしいことでしょう。
収容所の監視兵たちは自らの手を汚さず、被収容者に被収容者の命を奪わせていたのです。
筆舌に尽くしがたい絶望。
人間は本当に残酷な生き物です。
ここで、私が言葉を失った箇所を引用したいと思います。
ある夜、隣で眠っていた仲間がなにか恐ろしい悪夢にうなされて、声をあげてうめき、身をよじっているので目が覚めた。
(ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」より抜粋)
(中略)
そこで近づいて、悪夢に苦しんでいる哀れな仲間を起こそうとした。
その瞬間、自分がしようとしたことに愕然として、揺り起こそうと差し伸べた手を即座にひっこめた。
その時思い知ったのだ、どんな夢も、最悪の夢でさえ、すんでのところで仲間の目を覚まして引き戻そうとした、収容所での私たちを取り巻いているこの現実に比べたらまだましだ、と….。
☑もはや何も残されていなくても

被収容者が過酷な収容所生活を送る中でも、希望を見出したものがあります。
芸術
塀の中にも、芸術と呼べるようなものがありました。
それは歌や詩、ギャグなどです。そんなものを芸術なんてと思うかもしれませんが、被収容者たちは一時笑い、あるいは泣いて、なにかを忘れることができるのでした。
これが芸術でなくてなんと呼べるでしょうか。
ユーモア
フランクルは収容所の仲間に毎日、義務として最低一つは笑い話をつくろうと提案しました。
このユーモアへの意志は、いわばまやかしです。
だとしても生きるためのまやかしです。
笑いは生きる上で必要なものなのです。
あまりに極端な収容所生活において苦しみがふりかかっていようと、生きるためにはユーモアへの意志が重要な役割を果たすのです。
愛
フランクルには妻がおり、その妻は別の収容所に収監されていました。
収容所生活においては手紙のやり取りなど当然許されていないので、生きているのか、はたまた死んでいるのかさえ知ることができません。
そのなかでフランクルが到達した思想があります。
(収容所から生還したフランクルは、別の収容所で妻がすでに亡くなっていたことを知ります)
そのとき、ある思いが私を貫いた。何人もの思想家がその生涯の果てにたどり着いた真実、何人もの詩人がうたい上げた真実が、生まれて初めて骨身にしみたのだ。
(ヴィクトール・E・フランクル「夜と霧」より抜粋)
愛は人が人として到達できる究極にして最高のものだ、という真実。今私は、人間が詩や思想や信仰を通じて表明すべきこととしてきた、究極にして最高のことの意味を会得した。
愛により、愛のなかへと救われること!
人は、この世にもはや何も残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
収容所に入れられ、なにかをして自己実現する道を断たれるという、思いつく限りでもっとも悲惨な状況、できるのはただこの耐えがたい苦痛に耐えることしかない状況にあっても、
人は内に秘めた愛する人のまなざしや愛する人の面影を精神力により呼び出すことにより、満たされることができるのだ。
(中略)
愛は生身の人間の存在とほとんど関係なく、愛する妻の精神的な存在、つまり(哲学者のいう)「本質」に深くかかわっている。愛する妻の「現存」、私とともにあること、肉体が存在すること、生きてあることは全く問題の外なのだ。
☑読後に感じたこと
極端に過酷な収容所において記録された精神世界は、人間が生きる本質を見事に描いています。
生きるためには、収容所の中でフランクルが抱いていたような「生きがい」が必要です。
人の人生には、どんなに絶望的な状況にあっても生きる意味はあります。
が、その生きがいは自分で見つけなければなりません。
もし人が苦しい状況にあったとしたら、それは生きがいを見つけるヒントになるのかなと思います。
生きがいの種類は、本質的なものであればどんなものでもいいのでしょう。
人を愛すること、働くこと、ものを食べること、本を読むこと、笑うこと。
私の生きがいは、
- 物事の本質を知ること
- 面白いと思う仕事をすること
- お金を稼いで、暮らしやすい生活を手に入れること
- 愛を体現すること
かなと、現時点では思っています。もちろん今後変わっていくこともあるでしょう。
みなさんはどうでしょうか。
過去の経験や、今置かれている状況を紐解いて、自分なりの「生きる意味」について考えてみてはいかがでしょうか。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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