今日は植村直己さんの世界放浪記「青春を山に賭けて」を処方します。
植村直己さんは日本人で初めて、世界最高峰であるエベレストに登頂したひとであり、また、世界で初めて世界五大陸最高峰を成し遂げた人物です。
この本では、その植村さんがどんな経緯で山に出会い、どのような日々の中、エベレスト登頂、五大陸最高峰制覇を成し遂げるにいたったのか書かれています。
植村さんといえば、自然を相手に創造的な勇気ある行動をした人に贈られる「植村直己冒険賞」のもとになった人物であります。
そんな植村さんが書かれた「青春を山に賭けて」の魅力をご紹介します。
・登山が好きな方
・海外旅行が好きな方
・桁外れな世界放浪記を読みたい方
☑植村直己さんの人柄

「日本人初エベレスト登頂」、「人類初五大陸最高峰登頂」と聞くと、屈強な精神と肉体を持った巨漢をイメージしてしまいますが、植村さん自身は162cmと小柄で、大学生時代は「どんぐり」とあだ名されていたそうです。
直接会ってお話したことがないのですが、文体からも植村さんの優しい人柄に触れることができます。
植村さんの放浪記は冒頭、こんな文章から始まります。
私は「五大陸の最高峰を踏んだ登山家」などと言われるとすごく恥ずかしい。
山登りは五年や十年ではまだ初心者、私もほんの新米にすぎないのだ。
その私がこんなことになったのは、まったく幸運とまわりの人の協力や友情に恵まれていたからである。
たぶん、ベテランの人たちは、私の山登りなんかは危なっかしくて見ていられなかったろう。
私だってはじめっからこんな大それた計画をやるつもりはなかったのだ。
「青春を山に賭けて」より抜粋
ご本人もおっしゃっているので僭越ながら述べさせていただきますが、確かに植村さんの冒険譚はトラブルの連続です。
100ドルだけでアメリカ合衆国にわたり(帰りの切符は持っていない)、英語も話せないまま仕事をはじめ、時には現地の警察に捕まり、時には強制送還されそうになったりしながら海外の山の頂を踏んでいきます。
植村直己さんは、こういっていいなら、すごく普通の人です。
アマゾン川を手作りのいかだで下っているとき、スコールに見舞われ恐怖のなかで、いかだの支柱にしがみつきながら神に祈ります。
その後嵐が過ぎ去ると神様のことはケロリと忘れ、無事を祝ってコーヒーを沸かし飲みます。そして
これまでの私の、山を舞台にした自然との苦闘と違い、アマゾンへの挑戦には、恐ろしい中にも別なスリルの味わいがあった。
つね日ごろ、宗教心などひとかけらもない私が、とにかく真剣に神に祈ったのだから不思議なものだ。
「青春を山に賭けて」より抜粋
と語っています。なんとも人間らしさを感じます。
実績に胡坐をかかず、謙虚であり周囲の感謝をされる植村さんには親しみやすさも覚えます。
死後40年近くたった今も、登山好きの中に根強いファンがいるのもこの親しみやすさゆえにだと感じます。
☑詳細な放浪記の記録と最期

現代であれば映像や音声で記録することは簡単にできますが、植村さんが当時世界を放浪していたのは1960年代。
日記で記録を付けていたそうですが、その正確さに驚きます。
その時感じたこと、広がっていた風景、かけられた言葉、数々の描写が鮮明なため、植村さんの過去を追体験するような感覚になり、文章に引き込まれます。
そんな植村直己さんですが、最後は山の中で亡くなられています。
北米最高峰マッキンリーを世界初登記単独登頂を成し遂げ現在地を知らせる無線通信を行った後、交信が途絶え、消息を絶ちました。
装備品は発見されたものの、遺体は発見されず、死亡したとされています。
くしくもマッキンリーに登頂した2月12日は植村直己さんの誕生日であり、最後に無線通信を行った2月13日が命日となりました。
43歳という若さでした。
あまりにはやい死は、まさに青春を山に賭けた人生だったといえます。
☑おわりに
植村直己さんのように世界を縦横無尽に飛び回り、登山だけに限らず、いかだ下り、犬ぞりでの旅などあらゆるフィールドで自然と格闘した人はそういません。
植村さんの心にせまる不朽の名作、読んでみてはいかがでしょうか。