今回は結合双生児として生まれてきた姉妹の物語「わたしの全てのわたしたち」(サラ・クロッサン著)を紹介します。
結合双生児とは、体のある部分が結合して生まれてくる双子のことです。
(※人によっては強いショックを受ける可能性があるので、画像などを検索する際はご注意ください)
結合する位置は様々で、頭部、胸部、腰など様々です。
現代の医療では、手術することでそれぞれの個体を分離することができるそうですが、昔はサーカスなどの見世物として活動することがあったようです。
この本では、結合双生児の姉妹、ティッピとグレースの日常が描かれています。
なお、本書の翻訳は金原瑞人さんが行い、それを敬愛する詩人、最果タヒさんが改訳していますので、言葉運びが美しい点にも注目です。
体がくっついている

結合双生児は受精卵がうまく分割しないことで生まれてきます。
ティッピとグレースは腰から下が結合しています。
これを病気と呼ぶのか、障害と呼ぶのかはわかりませんが、一つ言えることは彼女ら(彼ら)はそれぞれ一人の人間として生きています。
見た目が明らかに異なること以外、健常者と変わりありません。
ただ一点、人と異なる個性を有しているだけで、彼女たちは好奇の目にさらされます。
ティッピとグレースは街での日常生活や学校生活において、デリケートな言葉を平気で投げかけられます。
それが彼女たちの日常。
「あれ以上の不幸って、ないと思うの。」

どこからか聞こえてきた言葉。
二人を傷つけようとしたわけではない、ただ純粋な本心。
それを受けてグレースは、「この体で生きることより不幸なことは、100個だって10000個だってある」と言います。
人は安心を求める生き物なので、弱者を見つけては攻撃し、身の保全を図ります。
しかし、人の価値は命の輝きにあるのであって、体の一部が結合しているかどうかは関係ありません。
と言うだけなら簡単ですが、自信の身に置き換えると難しいことだとわかります。
物語の中では、二人にも友達ができます。
同じ学校に通うヤスミンとジョンです。
友達と過ごす日常は幸せを感じられます。
白い目で見られる日常と、学校生活で過ごす幸せな日常。
日々過ぎてゆく流れの中で、最後には悲しい別れが待ち受けています。
読後に感じたこと

私にはおそらく経験することのない二人の姉妹の物語と、実際にこういった「人と違うこと」で後ろ指をさされる経験をしている人が実際にいることに、感動を覚えました。
病気や障害、あるいは精神的な問題は、本人にしかわからないことが多いと思います。
社会的弱者として扱うのではなく、あくまで普段通りに接することができればと思います。
その人の人間性に着目すること。
目に見えるものではなく、目に見えないものこそ見定める必要があります。
そして目に見えないところを好いてくれる人だけ、大事にすればいいです。
私自身もそうあれたらと思う夏の午後でした。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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