近年のスマホやSNSなどに代表される通信技術の発達はすさまじいものです。
あらゆるものがより便利になり、スマホ一つでそのサービスを受けることができます。
それと同時に私たちは、あらゆる対象と比較する方法を手に入れました。
おしゃれな人、お金持ちな人、面白い人、顔が整っている人。
自分よりも優れた一面を、いやでも目にしてしまう世の中になったことで、見ず知らずの人との差を感じてしまいます。
ファッションに気を使っておしゃれになったり、一生懸命働いてお金を稼いでも、常に上には上がいます。
便利な世の中になった反面、昔にはなかったストレスが生まれて、心がむしばまれている現代人も少なからずいます。
このストレスの代表が「承認欲求」です。
この承認欲求とはなかなかの曲者で、うまく付き合っていくには正しい知識が必要です。
そこでこの記事では、アメリカの心理学者、エイブラハム・マズロー(1908-1970)が唱えた「欲求五段階説」を処方したいと思います。
正しい知識を手に入れ、現代特有のストレスとうまく付き合っていきましょう。
・承認欲求の正体を知りたい方
・承認欲求を満たす方法を知りたい方
・むしゃくしゃしている方
承認欲求の構造

人間の欲求は五段階にわけて構造化されており、それは上図のようにピラミッド型になります。
上に行けば行くほど、高次の欲求ということになります。
下の欲求が満たされて初めて、次に高次な欲求を満たすことができるようになります。
第一段階:生理的欲求
ピラミッドの一番下にあたる、最も基本的な欲求が「生理的欲求」です。
生理的欲求は、人が生きていくうえで不可欠な、最低限の欲求を指します。
「三大欲求」(食欲・睡眠欲・性欲)のほか、呼吸をしたい、排せつをしたい、水を飲みたいなどの欲求も、生理的欲求に該当します。
例えば、読書をしようとしても、お腹がすいていたら読書に集中でいませんよね。
当然といえば当然のことですが、この欲求が満たされることで、人はより高次な欲求を満たすことができるのです。
第二段階:安全の欲求
次が「安全の欲求」です。
安全の欲求とは、身体的に、そして経済的に安定したい欲求のことをいいます。
身体的に安全とは、自分の身に危険が迫っていないことをいいます。
ここでいう身の危険とは、病気などの内なる危機ではなく、紛争地域での暮らしなどの外的な圧力による危機のことを指します。
また、経済的な安全とは、近い将来の金銭的な問題が生じていないことを言います。
自分の生活の行く先が見通せない状況ではなく、秩序だった安心できる環境で人は安全の欲求を満たすことができます。
第三段階:社会的欲求
社会的欲求とは、家族や会社などに代表される「組織」に属している事で得られる安心感のことをいいます。
所属と愛の欲求と呼ばれることもあります。
生理的欲求と安全の欲求が満たされていたとしても、自分を受け入れてくれる人がいない孤独な環境は、ほとんどの人は生きていくことができません。
無人島で一人で暮らす仙人のような人がTVで取り上げれられ足りしますが、仮に生きていくことができたとしても、その人が満たせる欲求は第三段階で止まります。
高価なもので身の回りを飾っても、物質的なものでは社会的欲求を満たすことはできません。
あくまで他者という存在がいて、その人から認められることで社会的欲求を満たすことができるのです。
第四段階:承認欲求
ここでようやく「承認欲求」がでてきます。
これまでの社会的欲求が満たされたとしても、承認欲求は満たされていません。
承認欲求とは、第三段階で得られた社会的欲求が満たされたうえで、さらに自分の能力を認めてほしいと求めることです。
この承認欲求は、二つに分類されます。
低位な承認欲求
「低位の承認欲求」とは、他人に注目されたり、賞賛されたりすることを求める、いわば「誰かに褒められたい」という気持ちのことです。
「承認欲求」と聞いて真っ先に思い浮かべるようなタイプの欲求ですね。
自分に関することをSNSに投稿するのは、他者からの「いいね!」という承認が欲しいという「低位の承認欲求」の一例と言えます。
高位な承認欲求
一方、「高位の承認欲求」は、他人にどう見られるかではなく、自分が自分を承認できるかどうかが問題になります。
SNSに投稿するにも、それは他者に承認されるためではありません。
あくまで主体的な行動であり、他者の評価軸から独立した欲求です。
ただし、この承認欲求に関しては、冒頭でも書いた通り際限がありません。
これが満たされないために、現代人はストレスを抱えることになっています。
ではどうすればいいのか。
この問題を解決するには、さらに高次な欲求を満たさなければなりません。
第五段階:自己実現の欲求
第一~第四段階のさらに高次な欲求が、「自己実現欲求」です。
自己実現の欲求とは、自分にしかできないことを成し遂げたい、あるいは自分らしく生きていきたいという欲求のことをいいます。
他者との比較ではなく、自分がどうありたいか。
自分の人生の主人に、自分がどうすればなれるか。
このことについてよく考え、行動に移すことで承認欲求をふくめた、自己実現欲求が満たされることになります。
自分がどうありたいかなんて、簡単にはわかりません。
じっくり考えてみましょう、あるいはとりあえず行動してみましょう。
これまでの人生を振り返って、心地よかった瞬間を思い出すのも効果的です。
自分が実現したいものが見つかれば、自然と承認欲求はみたされ、より高次な欲求へと意識を向けることができます。
おわりに

埋まらない差を気にしてもしょうがないとはわかっていても、なかなかどうして隣の芝は青く見えてしまうのか。
わかっちゃあいるんですけどねぇ。
今回マズローの欲求五段階説についてかいたのは、自分への戒めでもあるのです。
私が20代後半になるにつれて、世界で活躍する同年代の人や、友人が独立して自分で事業を行っている、なんてことも聞くようになりました。
そのたびに自分の現在地が、なぜか劣っているように錯覚してしまうのです。そんなことはあるはずないのに。
「職業や収入でその人の価値は決まらない」と言いつつ、自分で決めつけているようなものです。
ただ、30代も目前になってきた最近、ようやく「自分がどうありたいか」が定まってきました。
徐々に人生が生きやすくなってきています。
時間はかかりましたが、やはり考え続けることが重要だと感じます。
人生について考えるきっかけになれば幸いです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【おすすめ読書】「超訳 ニーチェの言葉」フリードリヒ・ニーチェ