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【周りに流されたくない方に】「群衆心理」 ギュスターヴ・ル・ボン

今回はギュスターヴ・ル・ボンの「群衆心理」という本を処方します。

この本は1895年に初版が発行され(日本語訳は1910年)、またあらゆる言語に翻訳された、今なお版を重ねている古典的名著です。

古典的な内容とはいえ、群衆(集団精神)は長い歴史の中で常に重要な役割を担ってきたため、情報化社会となった現代でも通じるところは多くあります。

なんならSNSなどの通信技術の発展に伴って、群衆は過去の時代より形成されやすくなったと言えます。

そのような現代において群衆がどのように形成されるのか、群衆とは何なのかを知ることは、現代を生きる私たちにとって重要な意味を持つと感じ、今回ご紹介しようと思いました。

  • あなたが今感じている自分の理性は、本当にあなたのなかから生まれたものですか?
  • 日々触れる情報の中で潜在的な心象を、第三者から植え付けられていないと断言できますか?


この記事では群衆に属する個人の特徴と、群衆そのものの性質を述べることで、群集心理がどのように形成されるのかを知ることができます。

劇作家のオスカー・ワイルドはこう言っています。


「ほとんどの人々は他の人々である。彼らの思考は誰かの意見、彼らの人生は模倣、そして彼らの情熱は引用である。」

生命活動をただ維持しているだけではなく、人として生きるためには群衆を認識できる「眼」が必要です。

その眼を養う術を、この本は教えてくれます。

この本を読んでいただきたい方

・どちらかというと自分の意見をしっかり持っていると思う方
・いつも周りの目を気にしてしまう方
・周りに流されたくない方

 

☑群衆に属する個人の特徴

一般的な「群衆」の意味は共通の対象に興味を持つ個人の集合体として考えられますが、心理学での群衆の意味は異なります。

では心理学的な意味での群衆には、どういった特徴があるのでしょうか。

群衆を形成するまでの段階に沿ってご紹介します。

第一段階:群衆は個人が独りでいるときと異なる性質をもつ(意識的個性の消滅)

群衆を構成する人の生活様式や職業、性格、知力などにかかわらず、個人が群衆になったというだけで、その個人には集団精神が与えられるようになります。

この集団精神のために、その個人の感じ方、考え方、行動の仕方が各自孤立しているときの感じ方、考え方、行動の仕方とは全く異なってきます。
この集団精神の中に入っていしまえば、個性は埋没します。

みなさんも経験があるはずです、一人でいるときには決してしなかったことを、友達や仲間などの大勢といるときにはしてしまったことが。

要は、集団でいるときは、普段意識している自分の個性は失われるのです。

第二段階:暗示と感染による感情の転換(被暗示性)

群衆はただ人が集まっただけで形成されるものではなく、必ず何かしらの引き金になるもの(=暗示)があり、それに伴い影響を受けた個人の意識を同一方向へと転換します(=感染)。


暗示にはニュース、SNS、周囲の噂などさまざまな種類があります。

そのため、群衆が形成される条件に物理的な距離の近さは関係ありません。


どれだけ近くにいようと、逆に離れていようとも、ある出来事に対して沸き起こった感情が多くの人の中に沸き起こり、それを各個人が自覚した時点で群衆になりえます。

第三段階:本能のままに行動する(無意識的個性の優勢)

群衆中の個人は単に大勢の中にいるという事実だけで、一種の不可抗的な力を感じるようになります。

こうなると、判断を本能に任せることになります。


孤立しているときならば当然抑えられたであろうことも、その群衆に名目がなく、従って個人に責任がないときには責任観念が完全に消滅してしまい、容易に本能に負けてしまいます。


群衆に属する個人が、意識的にそれを自覚することは難しいでしょう。

なぜなら「意識する」という行為さえ無意識であるかもしれないからです。

第四段階:暗示された観念を直ちに行為に移そうとする傾向(強烈な催眠状態)

意識的個性を失った個人は、それを失わせた暗示にいいなりになります。

こうなるとまるで催眠術にかかったように、暗示に対して抑えがたい衝動にかられ、行為を遂行しようとします。
催眠術は個人に対してかけれられるのでそれっきりですが、群衆に属した個人の数が多い場合は互いに作用しあって、より強烈になります。


各個人は暗示された観念こそが正義であると信じて疑わないため、直ちに行動に移そうとします。

このような段階を経て、個人は群衆になっていくのです。

 

☑群衆の性質

ここまで群衆における個人の特徴について紹介してきましたが、ここでは群衆そのものの性質について触れてみましょう。

衝動的で、動揺しやすく、興奮しやすい

群衆は常に外界からの暗示に対して無抵抗であり、不断に影響を受けます。

その暗示に対して瞬時に沸き起こった衝動の奴隷となるのです。

そして、その暗示は多種多様であり、群衆は常にそれに従うため、極度に動揺しやすい形質を帯びます。


暗示にかかった群衆にとって、おおよそ不可能ということは存在しないようになります。

個人でいたときには理性によって抑えていた犯罪行為さえも、群衆は目的のためなら実行します。

暗示を受けやすく、物事を簡単に信じる

群衆は多くの場合、何かを期待して注意の集中状態にあるため、暗示にかかりやすいです。

要は、常にスタンバっている状態です。

たとえるなら、ホラーゲームをしている状態のようなものですね。

あれは「来る、きっと来る…」と待ち構えているときほど、本当に来た時にびっくりしていしまいますよね。


そして暗示にかかった群衆には、感情が浮かびます。

感情は喜怒哀楽さまざまですが、群衆はこの感情によって物事を判断するようになります。
「ひどく怒りを覚えた」「ものすごく面白そうに感じた」といったような感情のみが行動指針となります。


一度感情が沸き上がると、それに対して疑うという概念は消え失せます。
さらに沸き上がった感情からさらに連想をして、一見するとまるで論理的でない空想でさえも、現実として受け入れてしまうのです。

それほどに群衆は無意識的になるのです。

感情が誇張的で、単純

群衆は脊髄反射のように本能的に行動するので、物事を推し量る術を持っていません。
暗示によって沸き上がった心象に対して起こした行動が一般の賛成を得られると、感情がますます誇張されていきます。


誇張された群衆の意志は、複雑になりえず、その行動や言動は単純なものとなります。

☑読後に感じたこと

著者はなにも群衆に属することを批判しているわけではありません。群衆はその衝動的な本能から犯罪行為を行うこともあれば、英雄的な行動をとることもあるのです。


その行動が犯罪的であろうと、英雄的であろうと、「個人ではなしえないことがなされる」ことが共通点としていえると思います。


それを踏まえて、自分が信じるものは、本当に信じていいものなのかを、絶えず自問自答することが大事だと感じました。


私たちの身の回りにはありとあらゆる情報があふれています。テレビ、ニュース、ラジオ、SNSなど、スマートフォンの普及により世界中の人々が最高の情報通信技術を手に入れたわけです。
しかし注意しなければならないのは、それらの情報は、その情報を発信した人の主観が混ざっている、ということです。


真実か、はたまた虚構なのか。


また、その情報にふれて沸き上がった感情さえも、正しいか都度考える必要があると思います。
なにもかもを真実か、はたまた虚構かを判断することはできないでしょう。

ただ考えるということだけが、真実の近くにいられるたった一つの術なのかもしれません。

ここまで群衆における各個人の性質と、群集そのものの性質について紹介してきました。
しかしここまでの内容は、本著での70ページ分ほどにしか相当しません。

「群衆の意見」「群衆の指導者とその説得手段」「群衆の分類」など、面白い内容が詰まっています。
さらに群衆の真理について知りたい方は、手に取ってみてはいかがでしょうか。

一読の価値はあります。

最後までお読みいただき、ありがとうございました!

 

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