本日紹介しますのは、渡部 昇一さんの「知的生活の方法」。
この本は、若松英輔さんのエッセイや長田弘さんの詩集と同様に、私の愛読書です。
ここでいう愛読書とは、何度読んでもおもしろく、読むたびに感じることが変わったり、新鮮な発見を見出せるような本のことを指します。
読書を趣味にするものであるから、少なからず私は知的生活を送り、賢くありたいと思っています。
そうするには、ただ本を読んでいるだけでいいでしょうか?
難しい本を理解できるようになればいいのでしょうか?
答えは''否''でしょう。
ではどうすれば良いのか、知的生活とはどういうふうなことを言うのか。
本書では下記の点に基づいてたっぷりと語られています。
- 精神(哲学)の観点
- 環境(生活)の観点
人の営みの根幹をなすところから、本書は知的生活の意味を紐解いていきます。
・賢く生きていきたい方
・読書を趣味にしたい方
・読書を趣味にしようとして、挫折した経験のある方
☑成長の素養(精神の観点)

本書を読むと、知的生活を送るための素養は、自我が生まれ始める幼少期にすでに培われるのだとわかります。
小学生ぐらいのとき、なにかゲームをしているときに、ズルをしてでも勝とうとする人がいなかったでしょうか。
あるいは、わからないことを隠して、わかったふりを続ける人はいなかったでしょうか。
この二つの姿勢は、知的に成長していくうえでよくないと、著者は言っています。
ごまかす、ズルをする、という精神ではじめたものは上達しないものだというのは、鉄則であるように思う。
(「知的生活の方法」渡部昇一 より抜粋)
(中略)
ごまかしたりズルをするというところまでいかなくても、よくわからないのにわかったふりをする子供は進歩が止まるのである。
(中略)
傍から見ていたのでは、あてずっぽうで間違えたのか、本当にそうだと確信して間違ったのか、その辺の区別はつかないのである。
その区別がつくのは、自分だけということになる。
そこで「己に対して忠実なれ」という、シェイクスピアの忠告が生きてくるのである。
なかなか分かっていても難しいところがありますよね。
わかっていないことをわかっていないと認めることは、多くの人にとって苦痛であるでしょう。
私自身も、周りの評価を気にしたり、見栄を張ってわかったふりをしたことは一度や二度ではありません。
恥ずかしながら、大人になってから痛い目にあいました。
新入社員時代、上司にコテンパンに怒られた根本的な原因は、まさにわからないことを認められないことが招いたことでした。
あまりにもミスを重ねて怒られるので、気持ち的にふさぎがちになる時期もありました。
しかしその経験のおかげで、自分のくだらないプライドを持つことがいかに意味のないことかを悟り、それからはわからないことが多い自分を認めることができました。
自分は思っているよりも大したことがないんだと、開き直ることができました。
それからの働きぶりは、改善していきました。
この体験からもわかるように、自分の力量に対して謙虚でいられない人は、成長を大きく遅らせてしまう。
幼少期の間に、わからないふりをする思考のクセを強制しておくにこしたことはないでしょう。
また、大人になってからでも、なるべく早く成長を妨げる癖を直しましょう。
☑知的生活のススメ(環境の観点)
本書では、本に関連する事柄だけでなく、住環境や嗜好品など、生活に関連する様々な観点から知的生活を論じています。
私が特に興味をそそられたのは、家の設計図です。
家の構造が、知的に生活するうえで重要な要素だとは、考えたことがありませんでした。
多くの書籍をどのように収めて、かつ読むのか。
最も成長を得やすい「読書」を、どのように日常に取り込みのか。
そのヒントが、家の設計図とともに紹介されています。
この発想はなんともユニークですよね。
プロの建築家に設計図を依頼したようなのですが、読書好きとしては思わずあこがれてしまう理想的な住環境となっています。
決して広くない床面積に、工夫を凝らして本と生活する環境を整えています。
こんな家に住めたらと本当に思いました。
その設計図を一目見るだけでも、本書を読む価値はあるので、ぜひ手に取って確認してほしいです。
また、本書は著者である渡部昇一さんの知的生活についても触れられていますが、加えて、渡部さんが師と仰いだ人物の知的生活についても述べられています。
私自身、今は1Kの狭いアパートに住んでおり、本の置き場所に困っています。
が、ゆくゆくはこんなふうな生活が送れるように住環境を整えていこうと、今後の指針を見出すことができました。
☑読後に感じたこと

私の知的生活が始まったのはいつかなと、過去を遡りました。
すると、何歳かは覚えていませんが、自分でむさぼるように絵本を読んでいた過去にたどり着きました。
何度も何度も、本棚の端から読んでいき、反対の端にたどり着いてはまた最初から読み始めていく。
そんな経験をしていことを鮮明に覚えています。「せんたくかあさん」がお気に入りでした。
続いては大学生の時。
母親の本棚にはたくさんの本が置いてありました。
大きな本棚にびっしりと、あらゆるジャンルの本が並べてあり、読むものには困りませんでした。
赤川次郎、向田邦子、アガサ・クリスティー、モーリスルブラン、サマセットモーム、シェイクスピア、夏目漱石などなど。
母親がどんなものを読んできたのか気になり、手あたり次第に読みました。
結果として読書の嗜好は、母親とは乖離していますが、私にとって貴重な読書体験でした。
そんな母親であったからこそ、本にかかるお金なら一切躊躇することなくお金を出してくれたことも大きかったです。
なかなか自分一人の力で、知的生活を送れるようにはならないのかなと感じました。
教えられないことを、自力で自覚するには幸運が必要でしょう。
そういった意味で、まだ決して満足のいく知的生活を手に入れられていないとしても、そのきっかけと素養を与えてくれた母親には感謝の念に堪えません。
いつか私も、そのきっかけを与える側の立場になれたらと思う次第です。
長々としたためた長文を、最後まで読んでいただきありがとうございました。
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